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私のこと
ありのままに

はじめに

はじめまして。業務用紅茶の販売及び当サイトの管理運営を担当している堀内芳昌と申します。

私は子供の頃からティーバッグやインスタントティーを飲んでいて、20歳くらいからは茶葉で紅茶をいれるようになりました。かれこれ紅茶歴40年くらい、リーフティー歴30年になります。仕事で紅茶に関わってからも20年近くが経ちます。

そんな私は、現在、広島で夫婦二人の自営業で紅茶関連ビジネスを営んでいます。

紅茶関連ビジネスと言ったのは、紅茶を軸にしながらも、一般的なショップスタイルのティーショップ(紅茶専門店・販売店)やティールーム(喫茶店)ではない仕事のスタイルだからです。

事務所ビルの1室を借り、一般の個人客向けの通信販売、カフェやレストラン、ケーキ屋などへの業務卸、紅茶教室の3つの柱で仕事をしています。

また、専門学校のカフェビジネス科での講師、通信教育のコーヒー紅茶カフェマスター講座の講師を務めながら、カフェ開業を目指す人のサポート事業やカフェの集客サポートなども行っています。

そんな私が今までどんな風に生きてきて、紅茶関連ビジネスを行っているのかをお話します。ちょっと長くなりますが、お付きいただければ嬉しいです。

  • 堀内芳昌ほりうちよしまさ
  • 1964年4月6日東京都生まれ
    東京→埼玉→神奈川→広島/実家は長野県
  • 175cm、58~62kg
  • A型、牡牛座
  • 好き:散歩、街歩き、料理、ケーキ作り、音楽を聴く、朝の和定食、欧州のシンプルなパン、美味しいケーキ、ビール、紅茶、rock’n’roll、シンプル、トラディショナル、ファッション、ギター、サッカー、紙の本、昭和 etc…

商売人の家に生まれ育った幼少期

私は、1964年東京都板橋区で3兄弟の長男として生まれました。青森と長野出身の両親は、上京先の上野などで食品の販売等どをしたようです。詳しくは知らないのですが、食っていくために商売をしていたらしく、いわゆるサラリーマンの家ではなく、商売人の家に生まれ育ちました。

その後、埼玉県の上尾市に引っ越し、小学生くらいの頃から母が小料理屋というか飲み屋さんというか小さな飲食店を始めました。自宅兼店舗だったので、小さい頃から母が料理を作り働く姿を見ていました。

父はいくつか転職をしていましたが、上尾市にある大きな工場の食堂などで働いていました。食材を袋から出したりする程度ですが、手伝いをした記憶があります。

このような環境で育ったせいか、小学生くらいから週末の昼ごはんを自分で作ったりするくらい料理に興味がありました。

調理師専門学校~働き始めた頃

上尾市内の小学校、中学校、高校を卒業した後、東京・池袋の武蔵野調理師専門学校に進みました。強い目的意識があったわけでないのですが、将来は飲食店をやるのだろうという気持ちで調理師専門学校を選びました。

専門学校では多くのことを学び、家でもキャベツの千切りや大根のかつらむき、オムレツなどの練習を繰り返したことを覚えています。

現在、専門学校で講師をしていますが、学生たちはあまり自宅で復習、練習をしないんですね。時代が違うのか、個人の差なのかは分かりませんが、意外です。

専門学校を卒業するまでに、何料理に進みたいとか○○ホテルで働きたいなどの目標が見つからなかったので、卒業後は、専門学校の時からアルバイトしていた中国料理店で一年と数か月フルタイムのアルバイトをしました。

正直な話、当時はバブル期だったので、「就職なんかいつでもできる」という甘い考えがあったのも確かです。また、新入社員の給料よりもフルタイムのアルバイトの方が稼げていたので「アルバイトでもいいか」みたいな気持ちもありました。世の中をナメていたのかしれません・・。

飲食店は一年足らずで辞めてしまい、何気なく見つけた家の近所のジーンズショップでアルバイトをしました。突然洋服屋に移ったわけですが、飲食業には、接客業という一面もありますし、学生の頃からファッションにも興味があったので、洋服の仕事にはすんなり入れました。

しばらくして、アルバイトでもとりあえずお金が稼げれば良いという気持ちが変化して、正社員で働ける仕事を探しました。

プロフィール

メンズファッション販売員~仕事の基礎的な考え方が身に付いた頃

求人誌を見たり、お店の張り紙を見て飛び込みで声をかけたりしながら、何箇所も面接をした後、東京に本社のあるメンズウエアの会社に就職が決まりました。

20代前半~中半の頃に約4年ほど勤めたメンズショップは、トラッド系のセレクトショップ。原宿店、八重洲店、横浜店で働きました。

今から30年近く前なので、家庭用のパソコンは普及していなくてインターネットという言葉すら知らない時代。情報はファッション雑誌から得るか、店員から聞くしかありませんでした。

興味を持つと、とことん知りたい性格なので、ファッション雑誌を何冊も読み、休日にはメンズショップに行き店員と話をして、商品知識やファッションセンスを身に付けるように頑張りました。とはいえ、口ベタなので店員から聞き出せる情報は少なかったのですが…。

しかし、良かれと思って身に付けた知識ですが、時には失敗もありました。メンズショップに来店する男性客は知識豊富な人が多いので、お互いの考えが正しいと主張して、言い争いのような感じになってしまうこともありました。

後で考えれば、お客様のことを考えての意見ではなく、自分の商品知識や意見が正しいことを主張しただけのダメな接客でした。決して間違ったことを言ったのではなく正しいことなのですが、正論を言えば良いというものでもありませんから。

私は、冷めているタイプなので、普段はそんなに熱くならないのですが、プチっと切れるとムキになってしまうことがあります。もちろん接客なので喧嘩にはなりませんが、冷静さをなくしていました。

今だったら、速攻でネット上にクレームを書かれているかもしれません。そんなことのない良き時代でした。

しかしながら、こんな接客をしてしまう私でも、全社員の中で個人売上げが1位になったこともありました。(社員数は忘れましたが30~40人くらいはいたと思います)ゴリ押しの接客で売ったのではなくて、商品知識を持ってまじめに接客する姿勢を認めてくれた顧客も多かったんですよ。

この頃は売ることに必死でした。自分が接客して売る売上げ、お店の売上げ、とにかく「売れる」ことが一番の喜びでした。

上司に恵まれ成長できた

メンズショップの時に、何人かの店長の下で働きましたが、皆よく働いていました。

自ら先頭切って働き、部下のことや会社のことを考えていました。個人売上げの競争などもあったのですが、悪い意味での争いはなく、個人も頑張る、しかし、お店として、会社として、売上げをあげるという考え方を、この時の店長から学びました。

店長になる

メンズショップで仕事をして4年近くが経った時、一番お世話になり、大きな影響を受けた店長が諸事情により退社しました。それにより役職は店長ではなったのですが、お店のトップの立場になり、のちに店長になりました。

しかしながら、お店のトップになってからの私はブラックな一面が顔を出していました。

店の売上げは良かったのですが、売上げにこだわるあまり、個人売上げの低いアルバイトを傷つけるようなことを言ってしまったり、うまくいかないとスタッフのせいにしたり・・。後で思えばひどいことをしたと思います。今でも人間関係の構築は苦手ですが、当時は若く未熟ゆえにいい関係を築くことができませんでした。

売上げを上げることとお店のマネージは全く別物。ほんとうに未熟でした。

今では「自分と他人は違う」と「他人は自分を映す鏡」という二面を忘れないように心掛け、他人を責める前に自分に目を向けるようにしています。なかなか難しいのですが…。

プロフィール

レディースショップに転職

レディースウエア(婦人服)の会社から、良い待遇での転職の誘いを受けました。取引先の服飾メーカーの人が、私をそのレディースウエアの会社に紹介してくれたことがきっかけになりました。

仕事のやりがいや目標はありましたが、大きな影響を受け、師匠といえる人が退社した後のタイミングだったので、別の目標に向かって進むことを決めました。

レディースショップに移って半年で店長になりました。メンズショップ時代に学んだことを活かして販売促進を行うと、お店の売上げは好転、社内の中間に位置していた店の売り上げが一位、二位を争うまでに成長しました。

小さな悩み

店舗の売り上げは良く、仕事は楽しかったのですが、個人的には女性客の接客に関して“小さな悩み”がありました。

メンズショップの時は、商品の話やファッションの話を中心すればよかったので、接客が苦手だと感じたことはありませんでした。商品知識などに関しては、それなりに詳しいと思っていましたし、それで問題を感じたこともありませんでした。

しかし、女性客は商品説明だけでは相手にされないことも多く、声をかけるタイミングや話の内容などに悩みながら仕事していました。女性と話をするのが苦手とか言うことではなくて、むしろ女性は話好き人が多いので接しやすかったですが、話の内容が難しいと感じていました。個人差が大きいので…。

しかし、お客様と話をしていると「話がうまい人だと乗せられて、買わされちゃう」とか「口がうまい人は信用できない」などと言う声を聞くようになりました。

また「真剣に選んでくれから助かった」とか「ハッキリ意見を言ってくれるから良い」という人もいて、ただ単に話がうまいことが接客のメリットではないのだなと思いました。

そして、「この前すすめてもらった服が会社で好評だった」とか、「自分では選ばないタイプの服をすすめられたけど、着てみたら良かった」などと言われるようになり顧客も増えていきました。

そうはいっても洋服は二の次でおしゃべりを楽しみながら買い物をする人もいるので、そういう人は話上手なスタッフに任せることにしました。相性があるので全員を相手にしたくても大丈夫なのだと思ったら、気が楽になりました。

また、女性客の中には男性の接客が苦手な人もいました。それは、最初からなんとなく感じていたので気がついたらさりげなくスルーしていました。逆に男性のスタッフが良い・信用できるという女性客が案外多いことにも気が付いてきました。中には男性スタッフに接客されたい、男性と話したいという人もいました。

大切な気づき

この時期に接客で大切なことは、商品知識や流行、ましてや話術などではなく、お客様のことを考えることだと気が付きました。

それと同時に、お客様に媚びることや相手に合わせるだけでなく、お客様が心の奥底で必要としているものや本当に似合うもの見つけ出し、すすめることなのだと気が付きました。

メンズショップの時はお客様に適正な洋服をすすめて売れれば満足。売上が上がることが喜びに感じることが多かったのですが、この頃からお客様に喜んでもらうことが嬉しいと感じるようになりました。

この時の変化は大きな成長であり、この時に感じた「お客様の役に立つのは気持ちいい」「お客様に喜んでもらうのは嬉しい」という気持ちは、今も私の仕事に対する考え方のベースになっています。

その後、レディースショップの仕事は、とても楽しくやりがいのある仕事だと感じるようになりました。人生の中で一番といってもいいくらいに充実を感じる時期でした。

プロフィール

カフェ開業にチャレンジ

ファッションの仕事をして10年ほど経った頃(1995年・23年前)に転機がきました。

働いていたレディースウエアの会社がカフェ部門を立ち上げ、社内での移動希望が取られたので、私は思い切って名乗りをあげました。

その時の私は、店長になって数年が経ち、店の売り上げも良く、数店舗を管理する立場になっていました。仕事自体は、とても充実していました。

その状態でなぜ、カフェに移動を希望したのかというと?

前に話しましたが、もともと飲食業を目指しながら、途中でファッション業界に移りました。でも、心の奥には40~50代くらいになったらカフェ(喫茶店)をやりたいという気持ちがあったからです。

その理由にプラスして、この時のタイミングが心に火をつけました。

タイミング

カフェ開業の話があった19年前は、スターバックス日本1号店ができる前の年。その情報はキャッチしていました。ファッションメーカーがカフェをポツポツと出店し始めた頃。後に洋服屋がカフェ併設店舗を作るブームがありました。

日本でのカフェブームなどといわれる前ですが、流行に敏感だった私は、“カフェが流行るのでは”となんとなく感じていました。

おそらく、2年前でも2年後でもやっていなかったと思いますし、レストランでも、ケーキ屋でも、本屋でもやっていなかったでしょう。このタイミングでカフェだったのがチャレンジしようと思った大きな理由になっています。

将来カフェ(喫茶店)をやりたいというのは漠然としたものだったのですが、同じ会社の中でできるのならチャンスじゃないか?という気持ちがあったのは確かです。

洋服の仕事が嫌になって移動を希望したのではないので、ポジティブな気持で新しい仕事にチャレンジしようと思っていました。

反対…

友達や社内の仲間にカフェ事業への移動の話をすると、ほぼほぼ反対されました。「カフェを開きたい」と言ったら周囲から反対されると聞きますが同じ状態かもしれません。中には「軌道に乗せたら洋服に戻してもらえるなら、やってもいいんじゃない」という人もいました。

また、予想外の人間の名乗りで会社も驚いたようです。話し合いの末、失敗しても洋服に戻る気持ちがないくらいの意気込みを分かってもらい、認められました。

会社の企画でスタートしていますが、中間管理職の人間が関わることになったので、一から任されての仕事になりました。もし、希望者がいない、または入社年数の浅い社員だったら外部に頼むつもりだったそうです。

カフェ開業

カフェ開業準備

カフェを任された当初は、洋服の仕事の引き継ぎをしながら、約1年後のオープンに向けてスタートしました。

いろいろな手続きや届け出はもちろんのこと、コンセプト作りやメニュー決め、仕入れ先探しや機材の調達なども一人でやりました。

カフェオープンの半年前くらいから、開業準備に専念し、コーヒーの研修を受けたり、料理の練習をしたりしてスキルアップをしました。また、とあるレストランのオーナーからメニュー作りや接客などの指導を受け、レストランでも1か月フルタイムで働き研修(修行)をさせてもらいました。

この時、仕入れ先を決める中で見つけたのが、現在扱っている紅茶。コーヒーは、カフェ開業の指導を受けたレストランの紹介で、当時日本にあまり入ってなかったシアトル系のコーヒー豆を使うことになりました。

イタリア産のチーズやオリーブオイル、無添加のパンやハム、ベーコンを使うなど、材料はこだわりを持って選びました。

この時のこだわりが当時のカフェにとって良かったのか悪かったのかは、今でも答えは出ません。しかしながら「自己満足的な無駄なこだわり」は、飲食業経験の浅い人の犯す大きな間違いになりやすい。今となれば分かります。

カフェ開業

一年という準備期間はあっという間でした。オープン1か月前くらいまでは期待のほうが圧倒的に強かったのですが、オープンが近づくにつれ不安ばかりが大きくなりました。

オープン数日前に「プレオープン」をしました。社内の人にお客さまになってもらい本番を想定しての練習です。私もスタッフも思ったように動けず、オーダーミスをしたり時間がかかり過ぎたりと惨憺たる状態…。泣きそうになった。

「正直、無理!」「オープン日を伸ばして欲しい」と思いました。

もちろん、そんなことはできるはずはありません。数日間でできる限りの修正と練習をしました。喜びよりも心配のほうが断然多くて、「お客様をこなせるのか?」という不安の中、オープン初日を迎えました。

オープン初日が終わった感想は「意外と大丈夫だった(苦笑)」というか、思ったほどお客様が来なかったというのが正しい表現。

暇ではなかったのですが、見込みよりも来客数が少なかった。でも、本音を言えば無難に終わって良かったという感じでした。売上目標を下回ったのですから、もちろん、悪いことですが…。

カフェ運営

カフェの失敗にありがちな「こんなにお客さまが来ないなんて・・」ということはなく、お客様は“それなりに”来てくれていました。とはいえ、経営計画が甘かったので、構造上利益が出にくい状態になっていました。

当時は、パソコンが家庭や店舗には普及してない頃だったので、会社に提出する書類なども手書き。そんな時代ですから一つ一つ手作業で見直しをするしかありません。「人気商品を作る。」「他にはないものを作る。」「美味しいものを提供する。」ことを前提にしながら、メニューの内容や原価、ロス、スタッフのシフトや経費などベーシックなことを見直していきました。

一年目の後半から少しずつ改善され、二年目、三年目と段々上向きになっていきました。ただ、原価や作業性の問題で外したメニューのファンだったお客様からクレームというか不満の声が出て、スタッフからも同じような声が出たのは心苦しかったです。

何度か雑誌に取り上げらたこともあり客数がアップ。徐々にリピーターが増えたこともあり、忙しい日には、お昼12時くらいから夕方5時くらいまで満席続きで、待ちのお客様ができることもたびたびありました。

「いつも行列ができている」などの声をいただくようになりました。

その原因は、「美味しかった」「アイディアがあった」「真面目にやっていた」などだと思っていますが、合わせて「立地が良かった」「会社の力(宣伝をしてくれた)」が当然ながら大きかったです。

洋服の売上げをげたことは自分の力としてある程度は自信を持っていますが、カフェの売上げは私の力は少ないです。洋服の時と違い自分ではできないことがたくさんあってスタッフに助けられた。洋服を売るのと飲食店は全く違う。自分の能力の低さを痛感したのに、うまくいかないのを部下のせいにしたり、細かいミスを指摘したりしていた。ここでもブラックな私がいた。

洋服の仕事の時は「楽しさ」が一番にありましたが、カフェの仕事は「苦しさ」が一番に来ていました。もちろん楽しくもありましたが、自分自身に対して、スタッフに対して、お客さまに対して、カフェの内容に対して…悩みと苦しみが大きかったです。

今、この時に私にアドバイスができれば、良いことを言える自信があります。残念ながら、時計の針は元には戻せないのですが…。

2号店の出店

カフェの評判は良かったので、三年目に2号店がオープンしました。本来なら2号店ができて、気持ちを高めて仕事に取り組むであろう時期のはず。ですが私は、2号店の企画の頃から気持ちに変化が起き、徐々に退社を考えるようになっていました。

私は個人的に、2店舗目以降には、もっと飲食の質を上げカフェとしてもレベルアップをしたい、もっと専門的なことにもチャレンジしたいと思っていました。1号店の後半に効率アップのためにメニュー替えをすすめたため、心苦しかった気持の影響もあります。

とはいえ、それで利益が出るのか?という疑問もあり、結局2号店は中途半端な感じになってしまいました。

本来、経営者の立場で考えなければいけないのに、自分のやりたいことを目指していたのは大きな間違いだったと、今になれば思います。2000%目指す方向が間違っています。完全に「ビジネスの視点」が抜けていました。

カフェ開業

退社する

しばらくすると、気持ちが前向きにならなくなってきたので、「自分のやりたい方向と違うので辞めたい」という話をしました。

今思えば、会社員が「自分のやりたいことができない」なんて、堂々と言っている時点で間違っていますね。会社の要望をくみ取った上で、自分の力を発揮しけなければいけない立場ですから。この時は、完全に自分中心にものごとを考えていました。

社内にカフェのことを私よりも分かる人がいない、ということで傲慢になっていたのだと思います。もし、「新規事業を任せたのに無責任だ」とか「おまえの考えは間違っているぞ」のような話があれば、少し頭を冷やしたかもしれません。

社長の言葉

最終日に本社に挨拶に行った時に、社長と話をしました。「堀内さんがいなければ、カフェはここまで来なかった。」のようなことを言ってくださいましたが、途中から考え方が食い違ってしまったので、内心は複雑でした。

また、「自営業のほうが好きなことができないんじゃないか」と言われました。その言葉は、今でも思い出すことがあります。

当時は「好きなことやらなくちゃ自営業の意味ないだろう」と思いましたが、今となれば分かります。「自分が好きなことを、自分のためにやるのは、ビジネスではない」という意味だったのでしょう。

社長に対して不信感すら持っていたのですが、やはり何億もの売上げを上げる会社の社長は違います。私の考えの方が遥かに小さく、浅はかでした。

退社し、充電期間に

正直な話、辞める時にまったく未練がなかったと言ったら嘘になります。
辞めなければ良かったとは思いませんが、気持ちの揺れはありました。
そのせいか、辞める前から次の職を探す気にはなりませんでした。

あり余るくらいに時間があり退職金もあったので、次に働くところを探しつつ、セミナーに行ったり、カフェやパン屋巡りなどをしたり、時には短期のアルバイトをしながらしばしの充電をしました。

仕事を探す

カフェを辞めてから一年以上が経ち、仕事の緊張感が恋しくなってきました。と同時に「このまま気軽な生活を続けていると社会復帰できなくなるのでは?」という危機感も出てきたので、本格的に仕事を探しました。

カフェを辞めた時、私にはもっと専門的なことにチャレンジしたいという気持ちがありました。接客サービス、コーヒー、パン、スイーツいろいろと興味はありましたが、一番興味が強かったのが紅茶だったので、東京都内の紅茶専門店または紅茶に力を入れているカフェの求人を探しました。

紅茶やコーヒーに力を入れているお店の面接をいくつか受けました。採用されたお店もありましたが、ほとんどが不採用。よく考えれば30過ぎた男が将来のビジョンも曖昧で採用してくれるわけありません。

その後、新規オープンの紅茶専門店が店長を探していて、採用されました。ただ、条件面で納得していなかったので、再度話し合いをし、辞退しました。

このお店を断ったことが直接のきっかけではないのですが、仕事を探すことにモヤモヤもあり、付き合っていた彼女が住んでいる広島に引っ越しました。

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英国で妻と出会う

妻とは、なんと、英国で出会いました! カフェで働いている時に参加した旅行でのこと。人生何が起こるか分かりません。

紅茶メーカーの企画で紅茶文化の本場イギリスをめぐる旅行。マンチェスターに入りコッツオルズなど数か所をめぐりロンドンに至るまでの紅茶にまつわる名所を訪れる旅。

話をしてみると彼女も元々ファッション関係の仕事をしていたり、紅茶やイギリスが好きだったりと共通点があり、付き合うようになりました。

広島に引っ越す

当時、私は神奈川県横浜市に住んでいました。私が住んでいた横浜に彼女を呼ぶか、私が広島に行くかの選択を考えた時、私が広島に行ったというだけです。正直、深い理由や大きなきっかけはありません。しいて言うならば、その時私は仕事をしていなかったから移動しやすかったということでしょうか。

引っ越しなんていつでもできるし、とりあえず呼ぶより行ってしまえみたいな…。

過去を振り返ってみても、意外と大胆に行動しているというか、浅はかなくらいに瞬発力があるので、深い理由がなくても行動する時があるのです。まあ、思慮深い人なら前社を辞めていないと思います(笑)

転職や引っ越しなどは、人生が変わるくらいに大事に考える人もいるでしょう。実際に転職に失敗したり、逆に転職が転機になって大成功した人もいるはずです。土地にも合う合わないというのもあるでしょう。

でも、私は「なんとかなるさ」の精神で、決断をしていることがあります。「なんとかなるさ=いい加減な考え」ではなく、「なんとかなるさ=ポジティブシンキング」だと思っています。良いか悪いかは、行動した後にしか分かりませんからね・・。

2000年に広島に転居し結婚。それから19年山あり谷あり、雨の日も晴れの日も乗り越えて、今日に至っております。

専門学校の学生と

紅茶関連ビジネス

紅茶関連の仕事は、私が起業したのではなく妻がはじめたものです。

妻は私が広島に引っ越す数年前から紅茶関連の仕事をしていました。紅茶を原料として仕入れ、オリジナルブランドの商品にして小売りや業務卸をしていました。その紅茶は私がカフェをはじめる時に見つけたものと同じ輸入元の紅茶でした。

カフェ開業時にこの紅茶を見つけた以降もいろいろな紅茶を飲みました。しかし、同等レベルだと思う紅茶に出会うことはあっても、これには負けたという紅茶に出会ったことはありませんでした。

私が美味しいと思う理由は、『茶葉の個性があり味わいが豊か』だからです。

産地をブレンドしない紅茶

紅茶にはとても多くの種類がありますが、その多くはブレンドティーかフレーバーティーです。

本来紅茶は、日本茶やコーヒー、ワインなどと同じように産地や農園(作り手)、鮮度などによって素晴らしい味や香りを堪能できる飲み物です。

しかし、残念ながら一般的に流通している紅茶の多くは、ブレンドティーやフレーバーティー。この理由は長くなるので割愛しますが、一つだけ話すと、ブレンドしない茶葉や鮮度の良い茶葉は、「個性が豊か」=「好き嫌いがハッキリする」からです。

多くの紅茶業者は、嫌われない、無難、紅茶が苦手な人でも飲みやすい、という傾向の紅茶を販売していると私は思っています。

このような紅茶とは別に、産地や生産する農園などをブレンドしない茶葉(紅茶)や収穫から時間経過が短い鮮度の良い茶葉(紅茶)があります。ブレンドしない茶葉、鮮度の良い茶葉は、茶葉の個性があり味わいがとても豊かです。

美味しい。自分が好き。それが一番の理由

扱っている紅茶は「一番美味しいと思っている紅茶」。

美味しいから勧める。最もシンプルな理由。

そして、『美味しい紅茶なんだから“知ってもらえば売れる”』と考えていました。

知られるだけでは売れない

この頃(2000年くらい)には、インターネットでの通信販売が広がっていました。多くの人に知ってもらうためには、インターネット通販が良いだろうと考えインターネット通販を始めました。

通信販売のホームページを運営するために初めてパソコンに触りました。「ホームページを作れば、日本全国から注文が来る」と思っていましたが、そんなことはなかったのです。パソコンに触ったことすらない素人がホームページを作ったくらいで、注文が来るほど甘いものではありませんでした。今思えば当然の話です。

広告を出したことがありましたが、反応は良くない。極めつけは、熱心な営業に心をゆるし数十万円かけてやったテレビショッピング。日本全国に知ってもらえるチャンス、対応できないくらいの注文がきたらどうしようと思いましたが、まったく反応がありませんでした。

この時、知ってもらうだけでは売れないのだと痛感しました。この月の収支が大赤字だったのは言うまでもありません。

green feelオーナーと

商売の秘訣を学ぶ

それなりには売れていて、お金は何とか回していける。赤字になっても商売は続けられている。とはいえ、このままはキツイ…。

そんな中、2010年パンコーディネーターという資格講座を受講。売上げに直結するなにかではなく、閉塞感を打ち破るなんて言ったら大袈裟で、ちょっと見識を広げるというか四十の手習い感覚で申し込みました。「新しいことにチャレンジしたかった。」

この講座が後に私の人生を変えるきっかけになるなんて、思ってもいませんでした。

衝撃の気づき

勉強を続けていく中で「美味しいだけでパンが売れる時代は終わった」と気づきました。衝撃でした。

「良い物、美味しいものを作れば(仕入れれば)売れる」と考え、「良い店作りをすればお客様は来てくれる」と考えていた私にとって天地がひっくり返るくらいのインパクト。「良いものや美味しいは、当たり前。良いものや美味しいものをどのように売るのか?いかにして、お客さまを喜ばせるか?」が今の時代は大切なのだと学びました。

それと同時に、自分の仕事のベースになるスキルや想いがしっかりとある人や店だけが生き残れるのだと感じました。

結局のところ「美味しいだけでは売れない」「知られるだけでは売れない」という当たり前のようなことに気が付くのに、何年もかかったわけです。何年間も“赤字という高い授業料”を払い続けたようなものです。

その後、別のセミナーやスクールなどで勉強、実践しました。しかし、劣等生の私は実践をしてもすぐは結果が出ない…。古い発想や凝り固まった思考、過去の成功体験が邪魔をしていたのです。

それでも、諦めずに続けたことと的確な指導をし続けてくれた講師のおかげとで2年以上経ってから徐々に上向いていきました。V字回復とはいきませんがやっとのことで借金はなくなり、数字、精神的に安定へと向かいました。

藍場川の家オーナー&スタッフと

「紅茶を手にしたお客さまが美味しく飲んでHappyになる」までが仕事

紅茶の仕事をはじめた頃には、「美味しい紅茶を広めたい」と同時に「紅茶のいろいろな楽しみ方を広めたい」と思っていました。でも、途中から「美味しい紅茶を探している人に、美味しい紅茶を売れば良い」と考えるようになっていました。

「近くに紅茶専門店がないから通販で買えて良かった」などの声を聞くことがあったからです。このようなニーズがあるのだから、応えれば良いと考えていました。また、リピーターは楽しみ方の情報をそれほど求めていないと気が付いたからです。

ですから、数年前までの私は、「良質の茶葉を仕入れ販売したら終わり」と考えていました。商品にいれ方を添えていたので、それを参考にして、飲む人が自由に飲めば良いと思っていました。

しかし、それは間違いだったと気が付きました。

「高い茶葉や良さそうな茶葉を買っても、美味しくいれられない」
「気になる紅茶に出会っても、買いたい茶葉があっても、いれ方が心配で躊躇してしまう」
「紅茶は好きだけどティーバッグしか入れたことがないから、茶葉だといれ方が分からない」このような声を聞くことが増えたからです。

私は紅茶の仕事をする前から、自分で紅茶を買って飲んでいましたが「いれ方が心配で紅茶が買えない」なんて思ったことはありませんでした。なので、紅茶を買おうとする人、ましてや通販で紅茶を買おうとする人にいれ方が心配という不安があるとは思いもしませんでした。自分が紅茶好きなのが仇になったのかもしれません。

お客様の声を聞くように心掛けてから、いれ方に関して私が思っていなかった不安があることに気が付きました。そして、この点を解消しないと「美味しい紅茶を広める」ことが難しいのだと思いました。

このことをきっかけとして、「紅茶を売ること」だけが仕事なのではなく、質の良い紅茶を仕入れるのはもちろんのこと、「紅茶を買う前の情報をキチンと伝える」から「紅茶を手にしたお客さまが美味しく飲んでHappyになる」までが仕事なのだと考えるようになりました。

素晴らしいカフェが増えて欲しい

私は、日本中に美味しくて、居心地の良いカフェが増えて欲しいと思っています。

日本各地を巡り、その土地土地のカフェでのんびりとお茶を楽しむのが将来の夢…。

しかしながら、美味しいカフェ、素晴らしい想いのある人が経営するカフェは苦戦を強いられることが多い…。気に入っていたカフェが閉店や縮小することに心を痛めています。

あなたのように「美味しいものを食べさせたい」「お客さまを喜ばせたい」という想いのある人を応援したい。と思っています。

共に学び、共に成長し、“好きなことを生涯の仕事にできる”明るい未来に向かって、一緒に歩んでいきませんか?

どうぞよろしくお願いいたいします。
堀内芳昌

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